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合気道は護身術になる?

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  合気道は護身術になる?            2026年5月14日          流山合気道倶楽部 大岩亮太 「合気道ってあれでしょう? 護身術みたいなやつでしょう?」 「護身術になるの?」 これ。よく聞かれます。 これに対する回答としては少し慎重にならざるを得ない。 敢えて言うのなら 「護身術よりも 護心術になる」 と答えたい。 この問いに対してはかなり慎重に成らざるを得ないと申したのは、訳があります。順を追って説明しますね。 まず、子供であったり、女性であったり、身体的な弱者であると言うだけで、又は部下や後輩、年下等立場の違いだけで、もしくは国や人種その他様々な立場の違いだけで、いじめや暴行を受けたり、痴漢被害、パワハラ、セクハラに遭うなど、卑劣な行為を受けた方もいらっしゃるからである。今、その様な状況に置かれている、または思い出したくも無い方もいらっしゃる事でしょう。でもその様な方にこそ、この続きを読んで欲しい。 その様な方の中には藁をも掴む思いで、いわゆる『護身術』を本や動画に求め、またその様な教室を探したりする事もあるのだと思います。 私はそれらの受け皿として合気道というものがあることは否定もしませんし、悪いことでは無いと思います。 合気道では様々な攻撃場面に対処する技というものを合気道では習得します。 因みに攻撃とは 片手取り、両手取り、諸手取り、肩取り、胸取り、袖取り 後ろ両手取り、後ろ肘取り、後ろ袖取り、後ろ羽交締め 正面打ち、横面打ち、突き技 2人技、3人技、多人数技 短刀取り、小太刀、太刀取り、杖取り 等多種多様に存在し、それぞれの場面に即した対応方法を習得します。 初めのうちは中々先輩方がやっている様にスムーズに、そして思う様に身体が動きません。 しかし、しばらく稽古していると身体がその動きを覚え、自然に身体が動く様になってきます。 これは一つ我々稽古者に取って目指したい所です。 気をつけなければならない事、私が危険だと思う所はこの辺りから生じてきます。 慢心。 それらをマスターしたから俺は強いと勘違いしている人がいるというのは前回までのコラムにて書いたとおりなのですが、実はこの考えこそが、その人個人個人を慢心に陥らせ、非常に危険な状態を生んでしまうということなのです。 これは柔道や剣道の有段者の警察官が実際に不幸にもこれで命を...

教育と思い込みと決めつけと

  教育と思い込みと決めつけと             2026年4月10日        流山合気道倶楽部 大岩 亮太       「三つ子の魂百まで」 「雀百まで踊り忘れず」 英語にも同様の表現がある。 “Old habits die hard.” 恐ろしいことに、過去に学んだことや身につけた習慣は、その人の人格を形成し、そこから外れることを容易には許さなくなる。さらには、そこから外れたものを排除しようとする働きさえ生じてくる。 これは誰しも経験があり、思い当たる節もあるだろう。 教育や体験から得られた「思い込み」や「決めつけ」は、その後の人生に良い方向性を与える一方で、時にマイナスにも働く。 合気道で言うところの『型』は、まさに最初に与えられる教育であり、その後の合気道人生の方向性を良くも悪くも左右する。そしてそれは、時に長く自分を縛り続けるものにもなり得る。 一度身についた『型』を、そこから打ち破ることは容易ではない。 例えば、箸の上げ下げについて「その使い方はおかしい」と言われたら、どう感じるだろうか。まさに、そういうものである。 この「型を破る」ということも、他者から強いられてできるものではない。 先輩から指摘されれば内心反発し、後輩から言われれば腹を立てる人もいるだろう。 つまり、自分自身で違いを認識し、新たな方法を試す。その試行錯誤の末に「こちらの方が良い」という発見や気づきに至ったときにのみ、人はそれまでの型を書き換えることができる。 そこには、驚きや喜びといった前向きな感情が伴う。そしてさらにそれを磨き上げようとする。 このような発見や気づきに至る過程には、自分自身の納得や合点が不可欠である。 これが「変化する」ということである。 では、その変化を妨げるものは何か。 それもまた、自分自身である。 ただし、教育という仕組みの中では、師の在り方もまた大きく影響する。極端に言えば、師が「変化してはならない」と言えば、それで道は閉ざされてしまう。そこには師や先輩の責任も少なからず存在する。 例えば、「師範を凌いではならない」「師範は絶対である」と思った時点で、この教育はそこで停滞してしまう。 ましてや不幸にして、その師が根本から誤っていたとしたら、どうなるだろうか。 我が師、遠藤征四郎師範は「師は三年かけて探せ」と言われる。 私にとって師とは、範...