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合気道との出会い

 滋賀の合氣道さざ波の10周年記念誌に寄稿した文章 『合気道との出会い』         2022年6月19日   大岩亮太      約30年前20歳の頃に遡ります。高校時代に剣道をやっていた私は、一瞬の駆け引き、スピード感、勝負に勝った時の高揚感に魅了されていました。 「また剣道をやりたい」とは思うものの、何か一抹の違和感を感じその一歩を踏み出せずにいました。 それは一対一の竹刀剣道が真剣勝負とはかけ離れていると言う事に対する疑問だったと思います。相手から一本取ると言うことは、その打突が相手の芯を捉えた、「気剣体」が一体となった物でないとならないし、審判の旗が上がらないという事でした。 しかしその「気剣体」は気=大声、剣=打突音、体=足の踏込音それぞれが同時に発せられることと同意に考えられる事でした。 しかし真剣勝負の場では、大声もいらないし、刃が触れる所が即、死に繋がる事もあるし、足を踏み鳴らす必要もない。 現代剣道が生死のやりとりとはとはかけ離れてしまっていることへの疑問でした。 そんなことを考えているときに、朝日新聞のとある記事に目を奪われていました。 それは大東流合気柔術の佐川幸義先生への取材記事でした。当時90を越えられていました。その写真の中で先生が腰に刺した木刀の柄(ツカ)を弟子が掴んだまま、飛ばされている写真が掲載されておりました。  私はそのような武術や武道を見たことがなく、 「何故人が柄を掴んだまま投げられるのか!?」 まだインターネットもない時代、その謎を調べるために、図書館、本屋巡りがはじまります。それから古武術や合気道にヒントがあることを知り、興味を持ちました。 それから一年はひたすらそれらに関連する文献を読み漁りました。満を辞して大学2年目に地元の合気会に入会、そして同時に大学の合気道部に入部しました。大学の合気道部は武田流中村派であり手刀で試合をする流派でした。剣道をやっていた私にとっては得意分野ですし、これも楽しそうでしたが、本当に一年掛けて追い求めた何かではない気がして、間もなく退部して合気会一本ではじめました。 そこで出会った先生は八千代市合気会の乾泰夫先生で、動きは柔らかくどこにも力が入っていない動きに魅了されました。初心者の私はそれから一年はただひたすらに合気道が持つ技のレパートリーの豊富さに感銘し、稽古自体が楽し...

合気道の求めるところ

過去にフェイスブックに掲載した文章 『合気道の求めるところ』 2017年12月  大岩亮太 合気道を始めて26年になります。 稽古を始める前の20歳の頃、朝日新聞の文化面で大東流合気柔術の故佐川幸義先生の取材記事があり、木刀のツカを持ったまま弟子が宙に飛ばされている写真に目が釘漬けになり、この様な武術が世にあるのかと思い大学の図書館を漁り、どうも合気道が近そうだ、と思ったのが始まりです。当時は合気道や大東流に関連する伝記や小説、その他を読み漁り、武勇伝やら名人技に心踊りました。「触れたら相手が飛ぶ⁈物理的にはあり得ないが、もしかしてあり得るのかも知れない」。  そんな期待を胸に地元の合気道のクラブに入会して実際始めました。  最初は合気道の技の持つ合理的な術理が純粋に楽しく、いかに相手に技を効かせるか、を探求することがひたすら楽しいものでした。しかし当初抱いていた名人技に行き着くには果てしなく遠いものに思えました。   その頃は先輩に技をかけても上手くいかず、力任せにやるもさらに上手くいかず、先輩のアドバイス通りやってもそれを意識するあまり更に上手くいかず、空回りの連続でした。 力を抜けと言われても力の抜き方が分からない。ただ型通りやれば上手くなれると信じていました。  転機は4,5年目のある時、千葉県の講習会で遠藤師範に出会ってからだと思います。そこには右も左も表も裏も関係ない、受けが自由にどの様に打って行こうが、自由に対応される姿がありました。ただ自由、つまり何にも束縛されていない姿をその技の中に感じました。その後遠藤師範の稽古に参加させて頂くことになりました。ただ稽古では、先輩からあれこれ教わることもなく、黙々と稽古をするだけ。受けではただただ遊ばれてしまい、稽古後には起き上がれないほどでした。技は基本の技ばかり、木剣の稽古もなしです。しかし師範は「そんな(他の技をやっている)時間が有りますか?」と言います。当初は何のことやら分かりませんでした。   繰り返し繰り返し、ひたすら基本の技ばかり、しかし師範は大事なことを教えてくれていました。「相手をいかに倒すかではない。自分の心がいかに落ち着いていて、自由でいられるかだ」 多分師範は何度も何度も稽古の中でおっしゃられていたのでしょうが、それに自分が気がつくのには10...

合気道の孤独

これは新潟転勤の最終月に新潟合気会西新潟道場の交換日記に寄稿した文章です。 2018年11月5日       大岩 亮太 第2弾 『合気道の孤独』  合気道は孤独な旅だ。 その道に一歩踏み込んだ時からその孤独な旅は始まる。 ちなみに人は集団になると荒ぶる性質をお持ちの様だ。ハロウィン騒ぎを見ればよくわかる。 ただし一人になると静まってしまう。 合気道はルールも無ければ、チームプレーもない、自らを評価する試合も無ければ、評価してくれる相手もいない。ただ稽古相手とおのれのみである。私はこの合気道を取り巻く孤独感を肯定的に捉えたい。  川の流れを想像してください。「水の流れに逆らわず」というが流れに巻き込まれてしまうと、自らを見失ってしまう。 地に足をつけ、不動の物を作り上げてこそ流れに対抗できる。しかし上体はしなやかになることで、その力を受け流す。しっかりと根をはる水草の様に。  その根はしっかりと伸び伸びと地に根を伸ばすほど、しなやかで強靭な茎を伸ばす。 この根とは合気道の「基礎」となるもの。茎とは自らの「身体」。  黙々と根をはり、恐る恐る茎を伸ばし、そしてやがて急流にも負けない不動の物を創り上げる。  どこか信念の様な、確固たる物を伴わないと、常に地に足がつかず、根本から覆されてしまう。この作業こそが悲壮な孤独感を伴うのであろう。   強さでもなく、速さでもなく、格好良さでもない、  ただひたすらに、伸びやかに根をはり、 だだひたすらに、しなやかに茎を伸ばす。  そしていつか自由に動き回れる様になりたい。  自らに原点を与えてくれた合気道。 人生のいろんなヒントを与えてくれた合気道。  その成長はほんの少しずつ、少しずつだけど、振り返ると必ずその成長を実感するときがあります。  一歩、足を踏み込んでしまったあなた。もう旅は始まっています。 またお会いしましょう。 流山合気道倶楽部

合気道

  これは新潟西新潟道場に所属した時の交換日記制度がありその時に寄稿した文章です。 『合気道』 2017年4月6日 大岩亮太 合気道は形稽古。技を掛ける役、掛けられる役、互いに役割を決めた上で行う。これは日本古来の武術全般にわたる教授法だ。 剣もヤワラ(小具足)もずっとそうしてきた。しかも剣もヤワラもセットで教授されてきた。 江戸の末期に竹刀と防具が発明され、その教授法は一変した。しかもその防具を利用した者たちは滅法強く、形稽古だけに頼ってきた人達をコテンパにしてしまった。ヤワラでも同様に競技を主体にした教授法が嘉納治五郎により発明され、形稽古のみの団体は転向を余儀なくされ、競技主体になってしまった。これが今の武道会の実情である。  ここで合気道は何故競技をしないのか。の疑問にいたる。     それは競技つまり勝ち負けを主体にしているわけでは無いからである。  勝ち負けを主体にするにはルールが必要になる。 すると人はそのルールに縛られる。例えば剣道では、面がね1センチずれれば一本にはならず、受け手は首を少し傾げれば避けられる、つまり打突不十分となる。 ヤワラでは技を掛けられない様にいわゆる亀状態にて審判の「待て」を待つ。 しかしどれも真剣の場では死を待つのみである。     合気道はこのお互いの役割つまり攻撃する側とされる側の分担を明確にし、攻撃の最悪の状況を想定した上で、いかにに有効にその攻撃に対応出来るかを研究します。この研究が実に面白い。物理学と心理学と精神医学と社会コミュニケーション学と宗教学と何から何まで多岐に渡りその人の研究分野に斬り込みます。例えば攻撃する人の心理と攻撃される側の心理が、技に現象として現れます。 攻撃する側⇨こいつに技ができない様にしてやろう。 攻撃される側⇨こいつの攻撃を何とか反撃して逆に痛い目に合わせてやろう。倍返しだ!! こういうタイプは想像つきます。肩はイカリ、腕は棒となり、足は居着いた状態。お互いがこの様な状態では最悪です。 これは極端ですが、皆が何処かにこんな気持ちを抱いて稽古しているのでは無いでしょうか。その居着いた気持ちが技を硬直化させるのです。  師範は言います。「指先まで気を充実させろ」と。「しかし全ての力は抜けていなければならない」と。 ...