合気道の孤独
これは新潟転勤の最終月に新潟合気会西新潟道場の交換日記に寄稿した文章です。
2018年11月5日 大岩 亮太
第2弾
『合気道の孤独』
合気道は孤独な旅だ。
その道に一歩踏み込んだ時からその孤独な旅は始まる。
ちなみに人は集団になると荒ぶる性質をお持ちの様だ。ハロウィン騒ぎを見ればよくわかる。
ただし一人になると静まってしまう。
合気道はルールも無ければ、チームプレーもない、自らを評価する試合も無ければ、評価してくれる相手もいない。ただ稽古相手とおのれのみである。私はこの合気道を取り巻く孤独感を肯定的に捉えたい。
川の流れを想像してください。「水の流れに逆らわず」というが流れに巻き込まれてしまうと、自らを見失ってしまう。
地に足をつけ、不動の物を作り上げてこそ流れに対抗できる。しかし上体はしなやかになることで、その力を受け流す。しっかりと根をはる水草の様に。
その根はしっかりと伸び伸びと地に根を伸ばすほど、しなやかで強靭な茎を伸ばす。
この根とは合気道の「基礎」となるもの。茎とは自らの「身体」。
黙々と根をはり、恐る恐る茎を伸ばし、そしてやがて急流にも負けない不動の物を創り上げる。
どこか信念の様な、確固たる物を伴わないと、常に地に足がつかず、根本から覆されてしまう。この作業こそが悲壮な孤独感を伴うのであろう。
強さでもなく、速さでもなく、格好良さでもない、
ただひたすらに、伸びやかに根をはり、
だだひたすらに、しなやかに茎を伸ばす。
そしていつか自由に動き回れる様になりたい。
自らに原点を与えてくれた合気道。
人生のいろんなヒントを与えてくれた合気道。
その成長はほんの少しずつ、少しずつだけど、振り返ると必ずその成長を実感するときがあります。
一歩、足を踏み込んでしまったあなた。もう旅は始まっています。
またお会いしましょう。
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